2011年03月21日


お金を何億円も寄付できない。衣類を何万着も寄付できない。水や食料を大量に寄付できない。住む場所も寄付できない。

それじゃあMy-Bには何が出来るか?

実は、昨日(3/20)、僕達My-Bは、被災地に行ってきました。
冷やかしではありません!今を「知る」為、そして、被災者のためにMy-Bが出来ることを「知る」為、それだけです!

夜中の3時に東京都港区を出発し、車に乗って常磐道を北へ進みました。
福島原子力発電所の事故による被爆という問題もある中、むしろそこへ近づいていくことはとても怖かったです。道路は空いていて、物資輸送のトラックなどは見うけられませんでした。
常磐道は茨城県の水戸南から先が通行止めになっていました。そのため、高速道路を降りて、大洗の海岸沿いを走りました。すると、すぐに今回の大災害による被害が現れました。
茨城県の大洗海岸の近くに建つ家々は瓦屋根が多く、地震による影響でその瓦がズレてしまい、応急処置としてビニールシートを被せている家が多く見られました。さらに、海岸沿いに建つコンビニの駐車場には砂浜の砂が運ばれており、津波が来たことがわかりました。また、歩道のアスファルトがひっくり返っているところもありました。ただ、ニュースで見る東北地方のような壊滅的な状況では無く、人々の生活もおそらく何とかなっているようなと感じはしました。
その大洗から国道245号線を北上すると、道中のガソリンスタンドには早朝から150台を超える車が行列をつくっていました。そのまま北上し、東海原子力発電所を通過し、日立方面へ。日立も越えて国道6号線を北上し、北茨木市に入りました。

茨城県北茨城市では、海岸沿いの木造建築の家はペシャンコに潰されて瓦屋根が地面に覆い被さっている状態でした。津波による影響も大きく、家の物が流され瓦礫と化していました。とてもショッキングな光景でした。おそらく、逃げ遅れた方もいるでしょう・・・。
国道6号線をさらに北上し、大津港へやってくると、もうそこはテレビで報道されているような光景とさほど変わりない、異様な世界と化していました。

茨城県北茨城市大津港。ここまで見て来た中で最も被害が大きいと見える地域でした。大津波に襲われた模様で、船が陸に乗り上げたり転覆したり、乗用車やトラックも横転したり、車と車がぶつかってボコボコに破壊されたりしていました。家屋は塀も壁もぶち破られ完全に浸水し、家の中の物も無くなっていました。臭いも・・・。水道も止まっていて、生きるには困難な状況でした。厳しい現実を目の当たりにして、気が重くなりました。なんでこうなってしまったんだ・・・。逃げ遅れた方もいると思われます。。。
ショックを引きずったまま福島県へ向かいました。
茨城県の海岸沿いから福島県に入ると最初の地域がいわき市です。ここまで来ると福島原子力発電所までの距離が60〜70kmとなり、細心の注意を払っていても目に見えない恐怖が少なからずありました。

福島県いわき市。ここに入ると人の気配がほとんど無くなりました。代わりにガソリンスタンドにおびただしい数の車が何キロもの行列をなしていました。その行列は次のガソリンスタンドまで延び、二重の列をつくるほどでした。ガソリンスタンドには水道も通っていて、ここがいわき市の人々のライフラインとなっているからでした。さらに、海岸沿いを走ると茨城県より地震や津波が大きかったことが見てとれました。道路が上下に大きく隆起・陥没し、マンホールは剥き出しになり、信号機や電柱は大きく傾いていました。また、船が陸に乗り上げられ、魚も陸に乗り上げられ、車はフェンスの上などに乗り上げられ、建物は崩壊し・・・すごくリアルで・・・痛々しい光景がつづいていました。。。自衛隊の車や赤い消防車も目にしました。

さらに、いわき市を北へ進み小名浜という海沿いの地域へ・・・この地域の一部はもう何もかもが奪われた壊滅的な状況でした!グッッッチャグチャ・・・。
大津波により家が家ごと流されてしまい道路を塞ぎ、車・家電・家具・食器・電信柱・信号機・道路標識など何もかも全ての物が瓦礫と化し、それがめちゃくちゃに散らかりまくっていました。ここまで通って来た地域の被害を超える凄まじく悲しい光景。おそらく、瓦礫の下にはまだまだ多くの方がいるはずです。でも僕にはどうすることもできませんでした。車を降りて、手を合わし、それからこの目にしっかり焼き付けました。体が震えてきて、とても不安になりました。自分や自分の家族・親戚、友達がこの状況になったら・・・と思うと・・・しかも、この地域に住む人々にとってはそれが現実に起きていると思うと・・・悲しみや絶望感が襲ってきました。。。。。。。。今もその感覚は強く残っています。
だからこそ、考えさせられます。自分に出来ることは何だろうか・・・と。

ここで、東京へと折り返しました。
おそらく、さらに北の地域ではこのいわき市で起きていることが、もしくはそれ以上のことが広範囲で起きているのだろうと思います。
今日見て来た地域の人々の表情は皆重く厳しく、また、厳しい口調も聞こえてきました。空気も重かったです。あの人たちは皆、限界ギリギリのところで助け合って今を生きていました。あの人たちに何とか明るい生活が戻ってほしい!

今、被災地では僕らがボールを蹴るような状況ではありません。娯楽を楽しむ余裕なんてありません。みんな生きることで精一杯です。そんなことは現地に行かなくても分かるだろ!いや、情報を持って分かっていても、実際に現状を見て思うことの方が強烈です。実際に目で見て、においを感じて、音も感じ、そこで生きる人々の顔を見て、空気に触れると、心の傷が深くなりました。
だから、行きました。

あの人たちのためにMy-Bが出来ることは何だろう?

テレビやインターネットの情報を見て感じて起こす行動より、実際に現地の状況を見て感じたことによって起こす行動こそ、より熱意を持つと思います。後で行くんじゃなくて、災害が起きたばかりの”今”を自分の目で見て知ったから、「被災者の為に」ではなく
「あの人たちの為に」
と思うようになりました。

お金を何億円も寄付できない。衣類を何万着も寄付できない。水や食料を大量に寄付できない。住む場所も寄付できない。

My-Bに出来ることはFreestyle Footballで「夢」や「希望」を与えること!
My-Bにしか出来ないことならMy-Bがやる!
復興が始まり、人々に「夢」や「希望」が必要になった時、My-Bのプレーをあの人たちに届けたい!!そして、あの人たちに笑顔が戻ってほしい!

でも今! 今あの人達に出来ることをしなくては!
GOTTSと考えました!今My-Bに出来ることは、Freestyle Footballで人々の注意を引くこと!人々の注意を引いて「あの人たちを助けよう」と”呼びかける”こと!これが今My-Bに出来ることだと思います!

今、東京では多くの人や企業が被災者を助けようと募金活動をし、その何百倍もの人々が被災者を助けようと募金に協力しています。
募金詐欺などの噂がある中で、信頼性などを考慮し、My-Bは募金箱を持たずに”呼びかけ”をしようと思います。僕達が昨日見て来た事実を伝え、「募金をしよう」「物資を支援しよう」「エールを贈ろう」と呼びかけ、募金活動をしている各企業の募金窓口を紹介するなど、そうすることが「あの人たち」の笑顔に繋がると思います!そう信じて、明日から"呼びかけ"をしようと思います!

ひとつ注意しなければならない事は、募金活動はイベントではありません。
現在、募金活動をする人も少なくありません。彼らが誠意を持って、純粋に被災者を助けてほしくて募金活動をしていても、募金する人がなんとなく募金するとか有名人見たさに募金するというのは違うと思います。どんなお金でも金額は同じです。それが被災者に届けば被災者は助かります。でも、同じお金でも重みは違うと思います。自分は何の為に募金をするのか、自分が払おうとしているお金はどういう意味を持っているのかをよく考えて募金することが良いことだと思います。
My-Bはパフォーマンスをしますが、それは人々の注意を引く為のものであります。パフォーマンスをして募金を募るとお金の意味合いが変わってきてしまうので、募金箱は持ちません。目的は被災者を助ける為の募金などを促すことや、僕達が見て来た事実を伝えることです。
昨日のあの人たちの為に、同じような境遇に立たされている人たちの為に、僕達が出来ることを微力だとしても熱意を持ってやろうと思います!!

このブログを最後まで読んでくれた方々、ありがとうございます!
少しでも共感して下さったら、共に"呼びかけ"ましょう♪

最後に、この東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、その親族ならびに関係者の方々にお悔やみ申し上げます。そして、被災者の方々の健康を祈っています!

My-B
posted by My-B(マイボー) at 23:59 | Comment(1) | Yasu
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